【レポート】「島原半島と有明海の漁業についての調査」(中尾勘悟)
2024.5.30
日本語研究活動
島原半島と有明海の漁業についての調査
中尾勘悟(肥前環境民俗(干潟文化)写真研究所)
キーワード:島原半島、有明海、スクイ、石干見、伝統漁法
要旨
前年度に引き続き、「すくい」あるいは石干見について、漁法の詳細を詳しく調べるとともに、江戸時代における利用から現在の保存に至るまで、歴史的な変遷を明らかにすることを目的とする。本年度は資料収集として、長崎県立図書館郷土資料センター、長崎歴史文化博物館、ミライON図書館、雲仙市図書館、島原図書館、南島原市図書館、西有家図書館、関連する市役所での資料収集を行った。
背景と目的
前年度に引き続き、「すくい」あるいは石干見について、漁法の詳細を詳しく調べるとともに、江戸時代における利用から現在の保存に至るまで、歴史的な変遷を明らかにすることを目的とする。本年度は資料収集として、長崎県立図書館郷土資料センター、長崎歴史文化博物館、ミライON図書館、雲仙市図書館、島原図書館、南島原市図書館、西有家図書館、関連する市役所での資料収集を行った。これには、各地域の町史、漁業の申請と許可に関する歴史文書(仮和)、スクイ漁場の記録と絵図などを含む。また、島原市の「みんなですくいを造ろう会」に関係する方々(内田豊事務局長ら)、郷土史家(松本篤氏、生駒輝彦氏、松尾卓次氏)の方々、市役所関係者、漁業協同組合関係者、地域おこし協力隊の方々、島原半島の地元の方々からお話を伺った。また、5月5日に島原市で開催された「スクイまつり2023」にも参加して、情報収集を行った。さらに長崎県南島原市有家町須川港周辺、雲仙市吾妻町山と三室、佐賀県鹿島市七浦嘉瀬の浦と太良町多良川河口部においてドローンによる撮影と記録を行った(IWAPRO岩永成人氏協力)。
調査の概要
島原半島の西側にある小浜、北串山、南串山、半島南端部にあたる加津佐、早崎などに各一~数か所スクイがあった記録があるが、現在は確認できない。半島南東部の有家、堂崎には、明治期には各十以上のスクイがあったが、その後徐々に放棄された。半島東部の島原には明治30年に三か所が記録され、その後変遷があったが、大手浜にあるスクイが「みんなでスクイを造ろう会」によって今でも修復・保存されている。島原半島北東部から、諫早湾を経て、佐賀県鹿島市までにも、スクイのほか、同じく石積みによる漁業構造物「石アバ」が数か所あり、いまは使われていないが、形が残っているものもある。島原半島と諫早湾沿岸には、昭和二十年代半ばまではスクイが大正期とほとんど変わらない状態で残っていたが、昭和二十四年の新漁業法によって、賦課金を納めなければならなくなったため、スクイの所有者には手放すものもでてきた。また、昭和二十八年以降は海苔養殖に参入する漁業者が出たため、スクイの石積みが壊されることもあった。また、昭和三十年前後からは、合成繊維の漁網が普及したため、スクイの漁獲が減ったという。さらに災害と復旧、河川工事などにより沿岸環境が変わる一方で、賃労働の機会も増えたという事情も加わり、スクイを放棄する人が増えたようである。島原半島南部は、歴史的にヨーロッパ、東アジア、東南アジアとも関わりがあった。このような国際的な潮流と、スクイという伝統漁法とのかかわりも興味深いことが分かった。
写真1:スクイまつり2023の様子(2023年5月5日、中尾勘悟撮影)
写真2:島原半島から諫早湾沿岸のスクイと石アバのドローン画像(岩永成人撮影)